2016年9月13日火曜日

道の駅『木の香』まで

今日は爽やかな晴天だったので、高知県いの町の道の駅『木の香』までサイクリングです。
母の朝食の世話を済ませ、8時に出発しました。
途中知り合いの家二箇所に、先日友人の山で採った栗のお裾分けをしたので、今治を出たのは8時半ごろでした。

西条の加茂川の河川敷では、恒例のいも炊きの準備ができていました。
加茂川から国道194号線に入り、高知県の県境までひたすら坂道を登って行きます。
途中寒風山トンネルまで15kmの表示があります。
子供が小さい頃によく来た、『チロルの森』は閉園しているようです。
時代の流れでしょうか、寂しい気持ちがしました。
 


車で走ると見ることのできない、自転車ならではの風景を楽しむことができます。
谷川の、エメラルドグリーンの水が、とても美しいのです。


車で水を汲みに来た人が、ここの水が西条で一番美味しいと言っていました。
ペットボトルにこの湧き水を補給して、新寒風山トンネルを目指します。


愛媛からの寒風山トンネルの入り口です。
全長5432mの表示があります。
出口まで直線でずっと上り坂です。
トンネルの中は涼しくて、気持ちがいいのですけど、車が近づいてくる音がとても恐いですよ~。
後ろから車にはねられないことを叫びながら、ペダルを漕いで出口を目指します。


トンネルの出口です。
道路標識に、高知県の文字が見えます。
ここからほどよく下って行くと、目的地の『木の香』に到着です。





ここで食べた、おでんのこんにゃくは絶品です。
おにぎりと一緒に頂きました。
旧車のオートバイで来ていた年配の人と、バイクの話に花が咲きました。
よくよく話をしていると、今治の人でしたw

食事を済ませると、お土産を買ってすぐにUターンです。
夕方までに帰らないと、母の夕飯の世話が待っています。


高知県側の、トンネルの入り口です。
ここからは西条市内まで、25km余りの下り坂です。
この長い下りは、ご褒美ですね。

帰ってくると、午後の3時でした。
6時間ほどの癒しの時間でした。

古い細胞さん、本日もご苦労様。

2016.09.11

(先生さん)

2016年9月10日土曜日

カープ優勝!

プロ野球、広島東洋カープが25年ぶりに、セントラルリーグで優勝しました。


カープが球団創設25年目にして初優勝したのは、1975年(昭和50年)10月15日のことです。
この試合も、後楽園球場での巨人戦でした。
私はこの試合の、数週間前の巨人戦のチケットを買っていたのですが、その試合が雨で中止になったために、スライドして10月15日の試合を観戦することになったのです。
偶然にもカープ初優勝の、ゲームを観ることができて、とてもラッキーでした。

この試合のことは、今でも覚えています。
完全試合男 外木場義郎と、交通事故による失明の危機から復帰した金城基泰の黄金リレー。打ってはホプキンスのホームラン、大下剛史のレフとフェンス直撃の安打で優勝を決めた試合でした。この時代には山本浩二・衣笠祥雄・水谷実男や三村敏之などそうそうたるメンバーがいました。
私は個人的に、外木場が日本で一番のピッチャーだと思っています。

さて、私がカープをひいき目にするようになったのは、父が広島ファンだったからです。
戦時中、呉の海軍工廠にいたことがある父ですが、広島にかかわっていた事があるせいか、終戦後広島球団ができた時から、カープを応援していたようです。
弱小チーム、お荷物球団と言われながらも、初優勝したときの父の喜びは想像がつきます。

そんな父からもらった、こんな手紙があります。





4月6日午後8時45分、ラジオのスイッチを入れると、広島東洋カープの三村がソロホームランを打って、得点は6対4と広島が中日に2点のリードとの放送が、耳に入ってきました。
今晩のゲームを勝つと広島は、2勝3敗1分けということになります。
広島も出足が悪く3連敗はしたが、ホームグランドに帰ってから1分け1勝と、調子を上げてきたようです。
爺さんは久しぶりに孫(利明)と、話ができたといって喜んでいました。爺さんは朝夕はうちにきてごはんをたべ、、昼は共同炊事から食事をとってたべています。
婆さんの戒名(仏門に入りつけられた名)は「慈興貞善大姉」です。
爺さんがうちにきて、朝夕おがむ時には、婆さんに呼びかけるように必ず「慈興貞善大姉」と、声を出しています。
葬式の日に、一治が写した写真の中で、最もよく写っていると思うのを、4枚だけ同封しておきます。
野球放送を聞きながら書いていると、中日に打たれ ただ今6対6の同点になっています。
広島が勝ってくれることを、願いつつペンを止めます。
時には爺さんに手紙を書いてあげなさいね。
では元気でね。

4月6日午後9時35分

利明様

このように父は広島の大ファンでした。
今夜は天国の父も、広島カープの優勝を喜んでいることでしょう。

ほんとによかったね、おめでとう。

このブログを書き終えるころに、長男から二人目の子供を懐妊したとのメールがありました。

(先生さん)

2016年8月31日水曜日

栗拾い

今日は台風一過の、爽やかな青空が広がりました。

母はショートステイなので、夕方から友人の所有する山へ、栗拾いに出かけました。

 
 
30分ほどの間に沢山拾いました(^^)
 
この山は、玉川の和霊神社の、鳥居の奥にあります。
 


 
季節はまもなく秋です。
 
(先生さん)
 


2016年8月20日土曜日

B & O

長男夫婦が初孫を連れて帰省してきました。
4月の父の三回忌以来の帰省です。

孫もお座りができるようになっていました。


子供の成長は早いものです。

ちなみに血液型ですが、私と長男夫婦と孫はB型。
妻と長女次女次男はО型。
これで四人ずつ、五分と五分になりました。

よっしゃ~

平成28年8月19日

(先生さん)

2016年8月15日月曜日

祖母からの手紙

祖母から一度だけもらった手紙があります。

祖父の手紙(その2)でも記載しましたが、福島に初めてスキーに行った時に、祖父母にお土産を送ったことがあります。
夫婦の湯飲み茶碗だったと思います。
その時の礼状には、祖母の手紙も入っていました。
 
利ちゃんお元気ですか
先日はおじいさんやおばあさんにまでに良いお品を送りてくれまして ほんとうに嬉しく思ひました
早速御礼状を出さねばなりませんのに 大変おそくなりましてすみませんでした
おじいさんも此の五六日わ かんじゃが大変お多くて そのうえ家の用事がたくさんあって書くひまがないと心配して 利ちゃんにおそくなったしだいで おばあさんわ寒さによわいので寝てばかり居って おそなったがごめんね
利ちゃんお正月前にかえりた時 小松へつれて行きてくれた事を思えば嬉しかった
又春休みに帰りてどこかえ連れて行きてね たのしんで居るからね
一治にいさんにもよろしくね
寒さがきびしいから 二人共風をひかないようにしてね
さよなら 利ちゃん おばさんより
(原文のまま)

小さい頃祖母に連れられて、よくお参りに行きました。
朝倉古谷の知恵の文殊尊、それから宮が崎の筋神さんや朝倉の金比羅さん、そして小松の子安さん(香園寺)や奥の院などです。

高校生の頃、祖母を連れて行ってあげたことがあります。
その時に、筋神さんから金比羅さんに抜ける林道で道に迷ってしまい、祖母の手を引きながら山の斜面を登ったり降りたりしながら、ようやくたどり着いたことを覚えています。

この手紙の時には、小松の香園寺と奥の院に、連れて行ってあげたのだと思います。

この手紙は、裸電球の下で書いたのでしょうか。
最初で最後にもらった、たった一通の手紙です。
祖母はとても優しい人で、小さい頃からよくしてもらいました。

祖母はそれから数年後に倒れ、しばらくの間寝込んだ後、私の誕生日に亡くなりました。

私が今も山や寺社によく行くのは、祖母が生前に歩いた道を辿っているのかも知れません。

平成28年8月15日

(先生さん)

2016年8月14日日曜日

横峰寺へんろ道

今朝は、母がショートステイなので、早朝から自転車で出かけました。
目的地は60番札所の横峰寺です。


小松の国道11号線の大頭交差点を、山の方に入って湯浪の休憩所に向かいます。


途中、妙雲寺の常夜灯でしょうか、すごく大きいですね。


こんな渓流に沿って自転車を走らせます。


湯浪の休憩所に到着です。
ここからは徒歩で登って行きます。
山門まで片道2.2kmの案内があります。


入り口の横にある水場です。
とても冷たくて美味しいです。
車で水をくみに来る人も沢山います。

ここでは小学生でしょうか、自転車でお四国参りをしている、親娘に会いました。
いいですね!
焼き鳥山鳥の、レーシングチームの人にも出会い、会話がはずみました。
その人もソロで走るのが好きなようです。




こんな感じの所を登って行きます。
石鉄山といわれるように、岩がごろごろしています。


横峰寺の山門が見えてきました。


山門です。



 本堂。

大師堂。



近頃は色鮮やかな金属の看板の案内を見かけますが、このように木や石のほうが落ち着きますね。

ここへは子供が小さい頃に、背負子に背負ってよく来ました。

お四国参りは4回目の途中ですけど、出発はこのお寺からでした。
ここのオレンジ色の納経張はお気に入りです。

昔から様々な人が、それぞれの思いをはせながら、この道を歩いてきたことでしょう。
そして自分もその長い時間の、ほんの数十年間を生きているに過ぎないからこそ、これからも健康でいられることに感謝しながら、精一杯生きていかなければと、そんな事を考えながら帰路につきました。

(先生さん)

2016年8月10日水曜日

祖父の手紙(その3)

祖父から届いた手紙には、他にこんなものもあります。

玉磨かざれば光なし
人学ばざれば智なし
努力は成功の基なり
校規をよく守ってよく勉強すること
長上の命に従い反抗心は禁物なり
怒りは身を滅ぼす基なり
忍耐力を養うこと

祖父74歳

利明君

私が中学高校の頃には、学生運動が盛んで、その当時極貧生活を送っていた親友の一人は、政治意識に目覚め、私にその熱い思いをよく話してくれたものでした。
私はといえば、思想や政治よりも自由に憧れ、権力で縛り付ける親や学校に反抗したものです。
しかしながら、その彼のあまりにも貧しい生活環境を目の当たりにし、その環境の中から生まれた彼の考え方が、恵まれた環境に育った私にとってのトラウマとなり、将来家を飛び出し、ドロップアウトをしていくことになったのです。
高校を卒業して、すぐに家を出て大阪に向かった時には、釜が崎に入ろうと考えていました。
でもその思いはすぐには果たせず、それから7年後安定した職場を辞めて、横浜の寿町に入ることによって思いを遂げることができました。

その親友とは数年前に再会しました。
その時に彼が、胸の内を打ち明けてくれたことがあります。
それは私が高校を卒業した時に、何のあてもなく家を出て行くことに強く反対したのですが、その反対したことが彼のトラウマとなって、それからの人生において、そのことをずっと引きずっていたそうです。
彼もその後、しばらくして故郷を離れました。

彼は現在千葉県で、議員さんになっています。

このような私の考えや行為を、その当時祖父は察していたらしく、このような内容の手紙を度々手渡してくれていたのです。

 
金一万円同封してあるゆえ、有効に使うよう
正直は一生の宝、間違った心は絶対禁物なり
 
嘘をつく人とは、必然的に心が通わなくなるものです。
 
(先生さん)