2016年7月21日木曜日

祖父の手紙(その1)

古い手紙の中に、祖父から貰ったっものが、何通もあります。
私が高校生の頃から、事あるごとに書いてくれていました。

この手紙は、私が高校を卒業し家を出てから、初めて送ってきてくれたものです。
大阪で住み込みで働きながら、夜間のデザイン学校に通い始めた頃です。
高校を卒業した2日後に、住むあて働くあてもなくバッグを片手に、夜の関西汽船に乗って家を出ました。
港では大勢の友達が、紙テープやトイレットペーパーで見送ってくれました。
祖父はどんなにか心配だったことと思います。
誰かに襲われた時のためにと、指の関節技を教えてくれたことが忘れられません。



いよいよ初夏の季節、我が家を離れて早や70日余り、その後達者に毎日天職を全うしていることと、察しております。
社会は甘いものではない、山あり谷あり、人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くがごとし、怒りは身を滅ぼす元なりを常に忘れぬよう、ボート精神を発揮し、苦しき時には我慢をして、最後の五分間まで頑張り抜くよう。
命は大切に、細心の注意を払い、怪我と病気をせぬよう。
男は一度思いついた仕事は、最後まで貫くこと。
夏休みには一治と一緒に帰宅して、故郷の空気と香りを味わうよう。
次に両親及び祖父母も、頑張っているゆえ、安心するよう。
さて日増しに暑くなるゆえ、充分体に気をつけて、夜寝る前には冷たい物は食さぬよう。
先ずはこれにて。
祖父77歳
5月21日15時 室温23度
利明君へ

私は高校時代漕艇部でした。
インターハイにも出場しましたが、勉強もせずボートを漕ぐことだけに明け暮れた3年間でした。
ある日体育の授業でラグビーをしていて、先生にタックルをされて、右肘が曲がらなくなり祖父に治してもらったことがあります。
ボートが漕げなくて困っていたのですが、2日ほどで治してもらいました。
このことがやがて、私が接骨院を継ごうと、決心したきっかけになりました。
文中の一治とは、兄のことです。兄はそのころ東京で大学生でした。

この郵便の消印を見ると、昭和47年5月22日となっています。
封書が20円の時代です。
祖父の手紙はいつも半紙に毛筆でした。
家庭では恐いくらいの祖父でしたが、今になって思うと家族思いの、人一倍思いやりのある優しいかけがえのない人でした。

手紙は今でも大切にしまっています。

(先生さん)

1 件のコメント:

  1. 文字にも言葉にも、力強さと愛情が感じられる手紙ですね。羨ましいかぎりです。
    その精神をもって、今のご自分の毎日を無駄なく過ごされているのでしょう。
    どうぞ、お体を大切にしてください。

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